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赤羽城


   

読み・・・あかばねじょう

所在地・・・栃木県芳賀郡市貝町赤羽

別称・・・赤埴城

築城年・・・1570年?

築城者・・・赤羽宗勝

主な城主・・・赤羽氏


益子氏一族、赤羽氏

 赤羽城の城主、赤羽氏は益子氏の一族であった。
 赤羽氏が宇都宮興綱と芳賀高経との間に亀裂が生じた時、和解に尽力したという、年代不明の書状が残っている。

 赤羽城は1570年に赤羽宗勝が築城し、その後宗重が跡を継いで居城したといわれるが、『宇都宮興廃記』には、
 永禄元年(1558年)に、
 「越後ノ上杉輝虎入道謙信、(中略)宇都宮ヘ押寄セ常陸筋ヘ街道ヲ開クベシト、赤垣日向守ガ堡障ヘハ横瀬雅楽介ヲ差ムケ」
 とあり、堡障は城や砦を意味することから、この頃には城がすでにあったようだ。
 また同じく『宇都宮興廃記』に、赤垣日向守、赤垣信濃守、赤垣周防守の3人が登場している。いずれも赤垣であるものの、赤埴あるいは赤羽のこととされて、赤羽氏と見られる。

赤羽の地

 「入野文書」によると、赤羽の地は昔、「東野広原」と呼ばれていたが、1213年に三浦家一族の埴生和泉がやって来て「赤埴邑」を開創したという。
 1220年には、紀氏が赤埴邑を領して「赤埴」から「赤羽」へと改め、文亀元年に赤羽右京之進が築城したとある。
 文亀元年は1501年であり、元亀元年が1570年。さらに、赤羽右京之進は赤羽宗勝のことであることから、誤字と推測される。


<現在の状況>

 赤羽小学校の西側に城跡がある。城跡がある林に足を踏み入れると、遺構がよく残り感動する。


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 「宇都宮城」宇都宮氏代々の居城。


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