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阿久津城


   

   

 

読み・・・あくつじょう

所在地・・・栃木県塩谷郡高根沢町中阿久津

別称・・・野沢城、石居城、石末城

築城年・・・1348年

築城者・・・野沢若狭守

主な城主・・・野沢氏、岡本氏


激戦の地

 阿久津城は、1348年に野沢若狭守に築かれたといわれるが、芳賀氏による築城ともいわれており2説ある。

 さて、1555年に芳賀高定は、「礎の地」での戦いにおける戦功を賞して平野大膳亮に感状を与えている。
 「礎の地」というのは「石末」のことで、その石末にあった城が阿久津城とされている。阿久津城という名称は江戸時代以降のものとみられ、中世では石末城と呼ばれていた。
 1555年頃の宇都宮氏の情勢は、宇都宮城が芳賀高照によって占拠され、続いて壬生綱雄によって占拠されるという事件が起こり、宇都宮家中は分裂していた。この時期に、宇都宮氏の当主伊勢寿丸(広綱)を擁護したのが芳賀高定で、伊勢寿丸は芳賀高定の居城である真岡に逃れていた。
 1555年というのは高定が高照を殺害し、宇都宮氏が勢いを盛り返す時期にあたることから、この地での戦で平野大膳亮が活躍したのもこれと関連がありそうである。
 1585年には那須氏が宇都宮領に侵攻し、宇都宮国綱の家臣岡本氏が「石居の地」に在城して活躍した。「石居」も「いしずえ」と読む。また、同年には北条氏の侵攻に備えるため、国綱は宇都宮城から多気城に移り、防衛体制を整えるために阿久津城も岡本氏に命じて改修させた。
 1597年、宇都宮氏が滅亡すると、阿久津城は廃城となった。


<現在の状況>

 阿久津城は線路によって東西に分断されている。線路の東側は足を踏み入れることができるが、西側は急峻な崖となっていて入れない。
 遺構は比較的良好で、土塁と空堀が残る。


<あわせて読みたいページ>


 「宇都宮城」宇都宮氏の居城。

 「勝山城」芳賀氏の城の1つ。

 「大館城」阿久津城から北東にある城。

阿久津城の所在地→