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麻生藩陣屋


   

   

読み・・・あそうはんじんや

所在地・・・茨城県行方市麻生(旧麻生町)

築城年・・・1604年

築城者・・・新庄直頼

主な城主・・・新庄氏


麻生藩立藩

 豊臣秀吉に仕えていた新庄直頼は、秀吉死去後に起こった関ヶ原の戦いでは西軍に加わって伊賀上野城を攻略した。その関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わったが、直頼は徳川家康と旧交によって助けられ、身柄は会津の蒲生秀行に預けられた。
 1604年1月、直頼は駿府で家康と謁見、さらに江戸で秀忠に謁見し、常陸国の行方、河内、新治、真壁、那珂、下野国の芳賀、都賀、河内の8郡のうち3万3000石を与えられた。そして居所を行方の麻生に定めたことで、麻生藩が立藩した。

一時の断絶

 3代直好は実子に恵まれず、分家の新庄直房(麻生藩祖直頼の子)の子直時を養子として迎え、直時が4代藩主とした。ところが、養子を迎えた後に実子直矩(なおのり)が生まれ、直好は間もなく亡くなる。
 直時は直矩が成長すると幕府に願い出て、直矩に家督を譲った。2万3000石を直矩が相続し、直時は7000石を分与された。
 1674年に5代藩主となった直矩であったが、1676年に急死してしまい、嗣子なく亡くなったことで改易となった。同年、幕府は隠居していた直時に3000石を加増し、直時の分与7000石と合わせて1万石となったことで麻生藩は再興し、直時は再び藩主となった。

 以後、麻生藩は直詮(なおのり)、直祐、直隆、直侯(なおよし)、直規、直計、直彪、直ハツ(爻に頁)、直敬と続き、明治維新を迎える。


<現在の状況>

 麻生小学校が麻生藩陣屋跡である。周囲には、麻生藩家老屋敷記念館(家老畑家)があり、主屋と表門が見られる。

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