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祗園城



本多正純

 小山氏が滅ぶと、結城氏が祗園城を手中に収めた。以後、1600年に結城氏が越前へ転封となるまで、小山の地は結城氏が支配していた。
 結城氏が越前へ転封となると、小山の地は一時期空白の期間となり、江戸時代に入ると幕領となるが、1608年頃、本多正純が3万3000石で祗園城主となり、小山藩が立藩した。
 本多正純は、本多正信の子であり、幼少の頃より徳川家康に仕えた重臣である。1600年の上杉景勝征伐と関ヶ原の戦いに従い、翌年には従五位下上野介に叙任された。また、1607年に家康が駿府に移って二元政治が行われると、重要な位置を占めている。
 1614年の大坂冬の陣にも正純は従い、和睦が成ると大坂城の惣堀を埋める奉行を務めた。翌1615年の大坂夏の陣にも正純は従っている。
 家康が亡くなると、日光東照宮造営の奉行となり、この後に秀忠に仕えている(正純はずっと家康に仕えていた)。
 これらを経て、正純は2万石加増されて5万3000石となる。
 1619年、正純の所領は15万5000石となり、宇都宮へ加増転封となると、小山藩は廃藩となり、領地の多くは古河藩領となった。

正純の統治

 正純が祗園城に入った頃、小山の地は小山氏が滅亡したといっても、旧小山氏家臣が多数存在し、不安定な地域となっていた。
 これに対し、正純は須賀神社に社領を寄進し、小山氏の菩提寺である天翁院には寺領を寄進して、旧小山氏家臣と民心の安定化を図っている。さらに、旧小山氏家臣達を自分の家臣団に編入したりもした。


<現在の状況>

 JR小山駅西口から西へ向かうと、思川の手前に祗園城はある。祗園城は城址公園となっていて、土塁や堀は健在し、整備もされている。
 また、城の北側にある天翁院には小山氏歴代の墓がある他、思川沿いには「小山政光寒川尼像」が建つ。


<あわせて読みたいページ>


 「小山御殿」小山市役所の北にある、徳川将軍家の日光社参御殿。

 「御陣所」JR小山駅北側一帯にあった、徳川家康の陣と伝わる場所。

 「鷲城」小山義政の乱の舞台。 

 「名門、小山氏滅ぶ」小山義政の乱前後の様子。

 「政光くんと寒川尼ちゃん」ブログ「九鬼の響き」の記事。


小山市の城一覧

祗園城の地図→