トップ栃木県・県南の城小山市祗園城

祗園城


   

   

   

動画で見る祗園城 

読み・・・ぎおんじょう

所在地・・・栃木県小山市城山町

別称・・・小山城

築城年・・・1148年

築城者・・・小山政光

主な城主・・・小山氏、本多正純


小山氏

 小山氏の祖太田政光は、藤原秀郷の子孫で、「小山」の地名を姓とし平城を築城した。2代朝政は弟の長沼宗政(長沼氏の祖)と同じく弟の結城朝光(結城氏の祖)とともに、源頼朝の挙兵に一族を率いて加わり、一ノ谷、壇ノ浦の戦いでは源氏勢に加勢し、勝利をおさめて一族繁栄の基礎を築いた。
 鎌倉時代の末期、7代目の貞朝が1333年5月に北条政権打倒のため鎌倉攻めに参加し、途中の武蔵国鶴見の合戦で戦死。8代秀朝も北条時行の乱の平定に加わって、武蔵国府中で戦死するなど、相次いで当主が亡くなってしまった。
 秀朝に続く9代朝氏(朝郷)と10代氏政は南北朝の時代であり、小山氏は北朝勢として大いに活躍。
 11代義政は、鎌倉公方足利氏満の制止も聞かずに宇都宮城主宇都宮基綱を討ったことから、鎌倉公方から討伐を受けた。「小山義政の乱」と呼ばれるもので、鷲城を中心にして半年余りにもわたって鎌倉公方の大軍と戦うも義政は敗れた。義政の子隆政(12代)も鎌倉公方と戦って敗れて自害(若犬丸の乱)、隆政の子供は鎌倉六ツ浦に沈められたことから、小山氏の正統は滅亡した。

重興小山氏

 「小山義政の乱」と「若犬丸の乱」によって小山氏の正統は断絶するも、鎌倉公方足利氏満は小山氏と同族の結城基光の二男泰朝に小山氏を再興させた。小山氏は鎌倉公方と鎌倉公方に続く古河公方の元で小山氏は再び勢力を盛り返す。
 上杉謙信が1560年以降関東出兵を行うと、祇園城も謙信の攻撃を受けた。1563年4月、謙信は宇都宮広綱、佐竹義昭ともに、祇園城を攻めて落城させている。
 北条氏がやがて台頭してくると関東の様子が一変、20代秀綱の時には北条氏康の子氏照の攻撃を受け、1575年に祗園城は開城。秀綱は常陸大田城の佐竹義重を頼って逃れた。
 1582年に織田信長が関東へ進出してくると、秀綱は再び祗園城に返り咲くことができたが、その矢先に本能寺の変によって信長が急死してしまった。これによって、小山氏は北条氏の支配下へと入り、1590年豊臣秀吉の小田原城攻めの時には北条氏に加勢、北条氏の滅亡とともに小山氏も滅亡した。

実なしイチョウの伝説

 現在の城址公園内に、イチョウの木がある。
 このイチョウは「実なしイチョウ」と呼ばれており、城が落城したとき、姫が城中の井戸に身を投げて自殺し、姫は後で自分を探しに来る者に場所を知らせる為に、そばにイチョウの小枝を置いておいた。このイチョウは成長したが、実をつけることはない。


小山市の城一覧

江戸時代へ