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芳賀城


   

   

 

読み・・・はがじょう

所在地・・・栃木県真岡市台町(旧真岡市)

別称・・・真岡城、舞が丘城

築城年・・・1577年

築城者・・・芳賀高継

主な城主・・・芳賀氏、浅野氏、堀氏、稲葉氏

 

芳賀氏について

 芳賀氏の祖は、天武天皇の皇子舎人親王である。芳賀氏が下野に来た事情は、清原高重の時に花山天皇の怒りに触れて流罪になったという。 そして高澄の時に芳賀氏を名乗ったようだ。しかし、芳賀氏の起こりについては曖昧な点が多い。
 宇都宮氏には「紀清両党」と呼ばれる、有力な軍事力があった。その「紀清両党」が、益子氏と芳賀氏である。この両党の活躍は目覚しく、源頼朝から旗をもらったというほどである。

芳賀城の築城と廃城

 芳賀高継(23代目)は、塩谷、塩原、壬生、宇都宮から200人ずつの人夫を動員して約200日で芳賀城を築城したという。
 なお、芳賀氏は24代目の高武のとき、宇都宮家の家督のことで内乱を起こした。1597年、豊臣秀吉によって宇都宮氏は改易となり、芳賀城も廃城となる。

 

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