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羽生田城





   


読み・・・はにゅうだじょう

所在地・・・栃木県下都賀郡壬生町羽生田

築城年・・・文亀年間(1501〜4年)

築城者・・・壬生綱重

主な城主・・・壬生氏、藤倉勘助


繋ぎの城

 羽生田城は、壬生城の支城として、文亀年間(1501〜4年)に壬生綱重が築城したと伝えられている。
 壬生氏は鹿沼城も居城としており、羽生田城は壬生城鹿沼城の間にあることから、壬生氏の重要な城であった。

激戦の地

 壬生氏5代目義雄の時代は、北条氏と反北条氏(佐竹・宇都宮氏を中心とする)の争いであった。
 義雄は元々北条氏と結んでいたが、壬生氏の領土は北条氏勢力と反北条氏勢力の間に位置している。そのことから、時には反北条氏方になることもあったものの、最終的には北条氏方として行動した。
 そんな壬生氏に対し、宇都宮氏と佐竹氏は猛攻を行い、特に1585年4月から1586年7月にかけてが活発であり、羽生田の地も戦場となった。

 1585年4月、宇都宮・佐竹軍が壬生城鹿沼城・羽生田城を攻め、鹿沼城では城のすぐ近くまで焼き払うほどの激しい攻撃を受けた。
 1585年12月には、日光山(壬生・北条氏側)が宇都宮軍を攻撃し、翌年1月になると佐竹軍が鹿沼城を攻撃する。
 1586年3月から4月にかけては、宇都宮・佐竹軍が藤井と羽生田を攻撃して壬生攻めを行う。
 1586年7月では、宇都宮・佐竹・結城軍が鹿沼城を攻める。

 この後も、北条方の壬生氏は反北条の宇都宮氏や佐竹氏と抗争を繰り広げながら、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めを迎えた。


<現在の状況>

 羽生田城は、本丸跡に羽生田小学校が建っている。小学校の西側にある林の中には、三ノ丸の土塁と堀が残り、堀は驚くほど深い。


<あわせて読みたいページ>


 「壬生城」壬生氏の居城。

 「鹿沼城」壬生氏の居城。

 「藤井城(第二次)」羽生田城と同じく、壬生城の支城。

 「激戦の地!」ブログ「九鬼の響き」の記述。


壬生町の城一覧

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