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羽生田城




   

読み・・・はにゅうだじょう

所在地・・・栃木県下都賀郡壬生町羽生田

築城年・・・1501〜1503年

築城者・・・壬生綱重

主な城主・・・壬生氏、藤蔵勘斎


繋ぎの城

 羽生田城は、壬生城の支城として、1501〜1503年に壬生綱重が築城されたと伝えられている。
 1523年、宇都宮忠綱は鹿沼綱勝を滅ぼした。この手柄により、壬生綱房は鹿沼城を与えられて、居城を鹿沼城に移す。これが壬生氏の北上の第一歩となり、羽生田城は壬生城鹿沼城を繋ぐ城となった。
 ここから壬生氏は一気に飛躍する。
 4代目壬生綱雄の時が最盛期であり、1549年に宇都宮尚綱が「早乙女坂の戦い」によって戦死すると、壬生氏は主家宇都宮氏から宇都宮城を奪い取った。そして1557年12月に宇都宮城を追われるまでの間、壬生氏は下野の覇王として威をふるうことになる。

義雄と徳節斎

 壬生氏最後の義雄の代になると、壬生氏一族の間で騒動が起こった。
 義雄と綱雄の弟とされる徳節斎周長との対立であり、徳節斎が鹿沼城に入って、実質的に壬生氏を支配していた。義雄は壬生城にいたとされる。
 両者の対立はまた、北関東の情勢を反映していた。それは、壬生氏が北条氏につくか、それとも反北条の宇都宮・佐竹氏につくかの問題であり、義雄は北条氏、徳節斎は宇都宮氏に接近していて反北条の立場であった。
 この対立に勝った義雄は北条氏に属し、反北条、北条と立場を変えつつ、最終的には北条氏につくことになる。

怒涛の進撃

 北条氏方についた壬生氏は、宇都宮氏と佐竹氏の猛攻に遭うこととなった。
 その時期は、1585年4月から1586年7月にかけてが活発であり、羽生田の地も戦場となった。

 1585年4月、宇都宮・佐竹軍が壬生城鹿沼城・羽生田城を攻め、鹿沼城では城のすぐ近くまで焼き払うほどの激しい攻撃を受けた。
 1585年12月には、日光山(壬生・北条氏側)が宇都宮軍を攻撃し、翌年1月になると佐竹軍が鹿沼城を攻撃する。
 1586年3月から4月にかけては、宇都宮・佐竹軍が藤井と羽生田を攻撃して壬生攻めを行う。
 1586年7月では、宇都宮・佐竹・結城軍が鹿沼城を攻める。

 この後も、北条方の壬生氏は反北条の宇都宮氏や佐竹氏を抗争を繰り広げられ、1590年の秀吉による小田原攻めを迎えた。


<現在の状況>

 羽生田城は、本丸跡に羽生田小学校が建っている。小学校の西側にある林の中には、三ノ丸の土塁と堀が残り、堀は驚くほど深い。


<あわせて読みたいページ>


 「壬生城」鹿沼城へ拠点を移すまでの壬生氏の居城。

 「鹿沼城」壬生氏の居城。

 「藤井城(第二次)」羽生田城と同じく、壬生城の支城。

 「激戦の地!」ブログ「九鬼の響き」の記述。

羽生田城の所在地→