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平出城


   

読み・・・ひらいでじょう

所在地・・・栃木県宇都宮市平出町(旧宇都宮市)

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・不明


平出氏

 平出城は鈴木重行の築城と言われているが、平出氏の築城も考えられいて、定かではない。また、平出氏が城主であったのかも定かではない。

 平出氏に関して言えば、1585年に宇都宮氏と那須氏が争った「薄葉ヶ原」の戦いで、『那須記』に「平出土佐守」なる人物が、川崎城塩谷氏の家臣として見える。
 この戦いの中で、川崎城の支城である乙畑城を攻めると、「平出土佐守・大澤隼人守・手塚大学以下の軍士百五十餘騎」を塩谷義綱は乙畑城に援軍として送った。
 乙畑城の戦いでは、「先手平出土佐守打負て引退り」と、平出土佐守は先手として那須軍と奮迅した様子が描かれている。

平出の区分

 平出の地に関して言えば、弘治4年(1558)正月22日の「芳賀高定充行状写」(秋田藩家蔵文書)で、

 「中平出之内面之内給分宛行候」

 と、芳賀高定が糟谷民部少輔に与えている。
 どうやら、平出の地は、上平出、中平出、下平出と分かれていたようである。

平出で起こった事件

 また、平出の地で、少し事件があったようである。
 年不詳菊月(9月)16日の「金丸資満書状」(柏倉文書)で、

 山崎助兵衛という者が、
 「御当地之商売ニ罷越候之処、貴辺被召仕候外左衛門・淡伏雅楽助為始、同類数多ニ而、於平出被討申候」
 とある。
 金丸資満から上三河殿へ送られた書状であるが、どうやら山崎助兵衛が商売で行った際、平出の地で上三川家の外左衛門と淡伏雅楽助達によって殺されてしまったらしい。これを受けて金丸資満は、

 「可被及御成敗候、雖無申迄候、雑物巳下可被返置候」
 と、この者達を成敗し、さらに物品を返すよう要求している。


<現在の状況>

 廣林寺の西側一帯が平出城跡であり、わずかながらの土塁が見られる。


<あわせて読みたいページ>


 「宇都宮城」宇都宮氏の居城。

 「川崎城」平出土佐守が仕えていた塩谷氏の居城。

平出城の所在地→