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細井城




   

 

読み・・・ほそいじょう

所在地・・・栃木県栃木市都賀町家中(旧都賀町)

別称・・・光明寺城

築城年・・・1555〜1558年

築城者・・・細井光明

主な城主・・・細井氏

 

細井光明

 細井城は細井光明によって築かれるが、築城からわずか数年後、1560年に壬生義雄に滅ぼされて廃城になった。
 なお、細井城の場所に「光明寺」という寺が建ち、この寺は細井光明の菩提を弔うために建立されたものである。



家中合戦

 さて、細井城がある家中では、1420年に合戦が行われた。
 「家中合戦」と呼ばれるこの戦いは、上杉禅秀の乱の一環であり、禅秀側についた宇都宮持綱を鎌倉公方足利持氏が攻めたものである。

 この戦いに際し、足利持氏が佐野帯刀左衛門尉に対して戦功を賞した。すなわち、

 「正月廿六日於下野國家中合戦抽戦功之條、尤以神妙也」

 と、応永27年(1400)閏正月十一日の「鎌倉公方足利持氏御判御教書案」(喜連川文書)にある。


 また、同じ感状が鹿島越前守にも与えられており、その感状である「足利持氏感状写」(常陸遺文)の日付が応永7年閏正月十一となっている。応永27年の誤りであろう。


家中は小山氏領

 細井城を築いた細井光明については、皆川氏の家臣であると言われるもよく分からず、あるいは小山氏の家臣とも言われている。

 特筆すべきは、家中の地が小山氏領であったと思われる書状があり、それは細井氏とも繋がる内容である。すなわち、

 享徳元年(1452)閏8月12日「小山持政書状」(白川文書)にて、「家中郷大和田村<細井中務丞地行分>」を小山持政が白川入道(白河結城氏)に与えたというものである。

 また、天文5年(1536)11月27日の「小山高朝伊勢役銭算用状写」の中に、「三貫文 いへ中」とあることにも注目。
 





<現在の状況>

 光明寺が細井城跡である。光明寺を囲むように、土塁と堀が立派に残っているのが印象的。


<あわせて読みたいページ>

 「壬生城」細井光明を滅ぼした時点での壬生義雄の居城。

 「祇園城」小山氏の居城。

細井城の所在地→