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伊佐城


   

   

読み・・・いさじょう

所在地・・・茨城県筑西市中舘(旧下館市)

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・伊佐氏、伊達行朝


伊佐城での奮戦

 伊佐氏は伊達一族である。
 伊佐城の名前が大きく飛躍するのは、南北朝時代。

 南北朝時代、伊達家当主の伊達行朝は、南朝方について活躍した。
 行朝は、最初北畠顕家に従って各地を転戦したが、顕家は1338年に戦死、顕家死後は顕家の父親房に従った。親房は小田城に拠り、行朝は一族のいる伊佐城に拠って北朝方と戦った。ちなみに、親房が『神皇正統記』を著したのは、小田城にいるこの時である。
 行朝は、小田城の小田治久、大宝城の下妻政泰、関城の関宗祐と呼応し、足利尊氏の家来である高師冬と激しい攻防戦を展開するも敗れた。この敗戦の後、行朝は陸奥に逃げ帰った。


<現在の状況>

 観音寺一帯が伊佐城跡である。観音寺客殿の前には大きな石碑が建ち、また境内には櫓台が残っている。


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 「大宝城」下妻氏の居城で、南朝方の重要拠点。

 「関城」関氏の居城で、南朝方の重要拠点。

伊佐城の地図→