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鹿沼城


   

   

   

   

読み・・・かぬまじょう

所在地・・・栃木県鹿沼市今宮町(旧鹿沼市)

別称・・・坂田城、亀城

築城年・・・1292年

築城者・・・鹿沼勝綱(権三郎入道教阿)

主な城主・・・鹿沼氏、壬生氏、朽木氏、内田氏


鹿沼氏について

 鹿沼城は1292年、鹿沼権三郎入道教阿が坂田山の山頂に館を構え居住したという。
 1523年には鹿沼綱勝が宇都宮忠綱の軍と合戦、鹿沼綱勝が戦死して鹿沼城は落城した。

壬生氏と鹿沼城

 宇都宮忠綱は鹿沼氏と戦った時、壬生綱房に命じて鹿沼綱勝を滅ばした。鹿沼城を落とした宇都宮忠綱は、加園城主渡辺右衛門尉や南摩城主南摩舎人之助を配下に、粕尾、粟野、久野、深程、真名子、大柿を奪った。
 忠綱は壬生綱房を鹿沼城主とし、皆川城をも攻めようと進撃。川原田で皆川宗成、平川成明兄弟と対峙してこれを討ち取るも、宇都宮忠綱はそれ以上皆川勢を深追いせず、宇都宮城に兵を帰した。
 鹿沼城に入った壬生綱房は、古くからの坂田山館を改築し居城とした。自然の高台をそのまま利用、曲輪で守りを固めた一城別郭形式の山城であった。
 綱房は1532年にも御殿山を中心に鹿沼城を大改築、本丸を中心に同心円状の空掘りをめぐらした。これが、丘城または平山城といわれる御殿山であり、高台を利用しての坂田山から、広い場所を求めての城に移転した。
 その後、壬生氏に内紛が起こる。1576年、壬生徳節斎が壬生綱雄を暗殺。1579年頃には、壬生城の綱雄の嫡男義雄が大叔父の壬生徳節斎を攻めて滅ぼした。
 鹿沼城に入った壬生義雄であったが、1590年、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、壬生氏は北条氏に味方して滅亡。鹿沼城も廃城となる。




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