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川崎城


     

   


 

読み・・・かわさきじょう

所在地・・・栃木県矢板市川崎反町

別称・・・塩谷城、蝸牛城

築城年・・・鎌倉時代初期

築城者・・・塩谷朝業

主な城主・・・塩谷氏

塩谷朝業

 御前原城主塩谷朝義には子がなく、宇都宮業綱の二男竹千代を養子として迎えた。この竹千代は、実父と養父の名をとって「朝業」と称したという。
 朝業は、川崎城を築いて御前原城から移住した。こうして御前原城は川崎城の支城となり、以後、川崎城は塩谷氏代々の居城となった。
 朝業は歌人として知られ、御家人として源実朝に仕えた。実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺されると、朝業は川崎へ戻って出家した。なお、朝業の二男時朝は、笠間城主笠間氏の祖となった人物である。

塩谷氏の断絶と重興塩谷氏

 朝業から13代目の教綱は、宇都宮持綱(13代目)を殺した。その背景には、宇都宮満綱(12代目)には子がなく、満綱は同族の武茂城主武茂氏から養子(これが持綱)を迎えたことへの反発があった。
 教綱と宇都宮氏は和睦するものの、その後教綱は宇都宮城へ誘い出されて謀殺されたことで、塩谷氏は断絶。

 断絶していた塩谷氏に、宇都宮成綱(17代目)は四弟の孝綱を入れ、塩谷氏を再興させた。これが重興塩谷氏。
 重興塩谷氏は、孝綱、由綱(義孝)、義綱と続いたが、豊臣秀吉の小田原攻めに背いたため所領を没収されてしまった。
 義綱は縁戚の佐竹氏を頼り、以後重興塩谷氏は佐竹氏の家臣として明治に至る。

<現在の状況>

 川崎城は、外観から堅固さを放つ凄まじさがある。そして城内に入ると、堅固さをさらに実感させられ、実に見事な城と言える。


<あわせて読みたいページ>


 「御前原城」川崎城の支城。

 「笠間城」塩谷氏の一族、笠間氏の居城。

 「宇都宮城」宇都宮氏の居城。

 「源実朝と塩谷朝業」ブログ「九鬼の響き」の記述。源実朝が塩谷朝業に梅の枝を贈る。

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