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小中城




   

読み・・・こなかじょう

所在地・・・栃木県佐野市小中町(旧佐野市)

別称・・・小中館

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・不明


小野寺氏の所領

 小中城の築城年や城主に関しては不明だが、小中の地が室町時代に小野寺氏の所領であったことが、「小野寺家文書」の記録に出てくる。

 すなわち、

 暦応元年(1338)6月18日の「小野寺通氏譲状」には、
 小野寺通氏が「下野国小野寺七ヶ村并佐野庄内小中郷・堀籠郷、同国足利庄之内河崎三ヶ村、同国之内牧野十貳ヶ村等」の地頭職を顕通に譲り渡すとある。

 康永3年(1344)7月2日の「小野寺顕通譲状」には、
 小野寺顕通が「下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄内小中郷・堀籠郷、同国足利庄之内河崎三ヶ村等」の地頭職を連通に譲り渡すとある。

 応永11年(1404)5月3日の「小野寺連通譲状」には、
 小野寺連通が「下野国小野寺保七ヶ村之事者、小野寺守藤瀧口重代相伝名字之地也、并佐野庄小中郷・堀籠郷、同国足利庄之内河崎三ヶ村、次牧野庄十貳ヶ村等之事者、譜代相伝所領也」とし、所領を通業に譲り渡すとある。

 応永27年(1420)11月20日の「小野寺通業譲状」には、
 小野寺通業が「下野国都賀郡之内小野寺保七ヶ村、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷等并足利庄之内河崎三ヶ村、同牧野庄十貳ヶ村等事者、小野寺守藤禅師法師義寛以来、重代相伝所領也」とし、所領を虎王丸(朝通)に譲り渡すとある。

 このように、小中の地は、小野寺通氏、顕通、連通、通業、朝通と代々受け継がれた。

小中のカッパ

 小中の地には、「小中のカッパ」という伝説がある。

 小中の赤渕というところに、カッパが住んでいた。
 そのカッパは悪さばかりをしていたために、力自慢の五郎平がカッパをこらしめようとした。
 五郎平はカッパの右手を切り落とし、高尚の見竜上人へ預けた。その夜、カッパが見竜上人の元を訪れて、「右手を返して欲しい」とお願いをすると、今後悪さをしないことを条件として、右手をカッパに返した。
 それから月日が流れ、見竜上人は修行のために大和へ行くと、大雨によって川が溢れて渡れない。すると、あのカッパが現れて、見竜上人を背中に乗せて川を渡った。


<現在の状況>

 浄蓮寺の南側が小中城跡である。遺構は、墓地の南側に土塁と堀が残っているのを確認できる。


<あわせて読みたいページ>


 「佐野城」関ヶ原の戦い後の佐野氏の居城。

 「堀之内城」小中城から南にある城。

 「赤見城」小中城から北西にあり、見事な遺構が残る城。

小中城の所在地→