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皆川城


傅役に

 関ヶ原の戦いが起こると皆川広照は、那須の鍋掛に陣を置いて、佐竹氏の動きに備えていた。この功によって、広照の所領は、1万3千石から3万5千石になった。
 そして、1603年に家康の6男、松平忠輝の傅役を命じられる。松平忠輝が川中島藩主となると、広照は信濃飯山7万5千石を与えられて移封となり、皆川藩は廃藩となった。

松平氏の入封

 皆川藩が廃藩となると、皆川の地は榎本藩本多氏の所領となった。
 1640年、本多氏に後継ぎがいなくて絶家となると、上総百首から松平(能見)重則が1万5千石で入封し、皆川藩が再度興った。
 松平氏は重則の後、重正、重利と続いたが、1665年に重利が7歳で亡くなると、後継ぎがいないために、再び廃藩となった。

米倉氏の入封

 1699年、若年寄の米倉正尹(まさただ)が1万5千石で入封し、皆川藩は3度目の立藩となった。正尹は、上野国、武蔵国、相模国に1万石の領地を持っていたが、下野国などで5千石加増されたのを機に、陣屋を皆川に移したのである。
 米倉氏は正尹の後、昌明、昌照、忠仰(ただすけ)と続き、1723年に忠仰が居所を武蔵金沢へ移したことにより、3度目の廃藩となった。


<現在の状況>

 皆川城は山城だが、大変良く整備がなされていて登りやすく、遺構も良く残っている。まさにこの城は「難攻不落」という言葉が良く似合う。
 ここまで素晴らしい城は、なかなかないであろう。


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 「栃木城」皆川広照が築いた新たな居城。

 「升塚」川原田合戦の戦死者を葬ったとされる場所。

 「信長への贈り物」皆川広照が織田信長に贈り物をした記述。


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