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茂木陣屋


 

読み・・・もてぎじんや

所在地・・・栃木県芳賀郡茂木町茂木

築城年・・・1610年

築城者・・・細川興元

主な城主・・・細川氏

 

細川興元

 細川興元は、細川藤孝の次男であり、兄は細川忠興である。
 興元は父、兄とともに織田信長に仕え、初陣は信長が松永久秀を攻めた時であり、興元は片岡城を攻めて兄と共に織田信長から感状を得ている。
 信長の死後、興元は羽柴秀吉に仕え、佐々成政攻め、小田原攻め、朝鮮出兵に参戦。
 関ヶ原の戦いでは、細川忠興隊として興元は石田三成隊と激戦を展開している。その功によって、忠興が中津39万9千石に国替加増を受けると、興元は小倉城10万石の城代となった。
 ところが、興元は兄と不仲になり出奔する。その後、京都で暮らした。
 1608年、徳川家康の仲介によって忠興と興元は和解し、興元は徳川秀忠に仕えることとなった。そして1610年に秀忠によって茂木1万石が与えられ、茂木藩が立藩した。
 1614年の大坂冬の陣、1615年の大坂夏の陣では、興元は酒井忠世隊に属して戦功を挙げ、常陸谷田部に6200石の加増を受けた。


2つの陣屋

 谷田部に加増を受けたことで、江戸に近く参勤交代に便利なことから、茂木から谷田部に藩庁が移され、藩名も谷田部藩へと変わった。とは言え、所領の6割が茂木にあるために、茂木陣屋はそのまま残され、谷田部陣屋と同様の支配機構を備えていた。
 つまり、谷田部藩は茂木陣屋と谷田部陣屋、2つの陣屋で支配する藩であり、その状態は幕末まで続いた。






<現在の状況>

 「茂木町民センター」の場所に石碑が建っている。

茂木陣屋の所在地→