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根小屋館


   

読み・・・ねごややかた

所在地・・・栃木県大田原市南金丸(旧大田原市)

築城年・・・1346〜70年

築城者・・・金丸資国

主な城主・・・金丸氏


金丸氏の祖

 那須資藤の2男資国が金丸に領地を与えられ、正平年間(1346〜1370年)に根小屋館を築いて居城とした。資国は金丸氏を称し、金丸氏の祖となる。
 資国は後に堅田郷を与えられ、堅田義隆(那須資隆の子)が築いた城を修築して移り住み、金丸氏代々の居城(金丸氏要害)とする。

上那須氏の家臣

 『那須記』には、上那須氏の当主、那須資親の子は4人いて、1番目の姫が宇都宮成綱に嫁ぎ、2番目の姫が首藤資永(白河義永の次男、上那須氏の跡取りとする)に嫁ぎ、3番目の姫が沢村三郎に嫁いだ。その後に、

 「其後資親男子をもうけて、三歳の時山田の城に移て、山田の次郎資久と号す、金丸前備前守・大関前美作守預り養育す」

 と、那須資親に男子が生まれて資久と名乗り、資久を金丸氏と大関氏が養育したと出てくる。

 1514年、資親は大田原氏を呼んで、婿養子の資永ではなく、実子の資久に家督を継がせるよう遺言して亡くなった。これを聞いた大田原氏は、資永を殺害しようと計画し、資久を擁する大田原氏と資永との間で戦いが勃発。資久も資永も亡くなり、上那須氏は滅亡した。

 1516年には、宇都宮成綱と忠綱父子と佐竹氏・岩城氏が縄釣で戦い(縄釣台の戦い)、この戦いに宇都宮氏が勝利した。これによって、上下に分裂していた那須氏が統一されたと言われている(この戦での、那須氏の立場は不明)。

金丸氏の分裂

 1560年、那須資胤と結城氏・蘆名氏が小田倉で戦い(小田倉の戦い)、この合戦あたりから、大関高増を中心とする上那須勢と那須資胤が対立し始めた。
 そして1566年には、佐竹氏が宇都宮氏と上那須勢と連携して那須資胤と戦い(治部内山(じぶうちやま)の戦い)、佐竹氏は敗北した。この戦いで、金丸氏は分裂していたようで、『那須記』では、上那須勢の中に「金丸備前守」、那須軍の中に「金丸下総守」の名前が見える。
 翌1567年、佐竹氏は再び那須に侵攻するが敗北。「大崖山(たいがいやま)の戦い」と呼ばれるこの戦いでも、上那須勢は佐竹氏に味方し、この戦においても、金丸氏が分裂している様子が見える。

大関氏の家臣として

 1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、大関高増が秀吉に謁見すると、金丸氏を家臣として申し出たことにより、金丸氏の所領は大関氏の所領に組み込まれた。
 関ヶ原の戦いの時には、大関氏から徳川家康に対して人質を出し、その人質に金丸資貞(資満)の妻が江戸に行っている(「下野の関ヶ原」参照)。


<現在の状況>

 2軒の民家に土塁が残っている。この2軒は少し離れているため、元は土塁が続いていたと思われる。この土塁は遠くからでもすぐ目に入るほど存在感がある。


<あわせて読みたいページ>


 「烏山城」那須氏の居城。

 「黒羽城」大関氏の居城。

 「竜花館」根小屋館からすぐ南にある館。

根小屋館の所在地→