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関宿城


  

  

読み・・・せきやどじょう

所在地・・・千葉県野田市関宿三軒家

築城年・・・1457年

築城者・・・簗田成助

主な城主・・・簗田氏、北条氏、松平氏、松平氏、小笠原氏、北条氏、牧野氏、板倉氏、久世氏


古河公方の家臣

 関宿城は、1457年に簗田成助が築城したといわれているが、これよりも前に城が存在していた可能性がある。
 簗田成助の祖父、満助のときにはすでに関宿に居を持っていたと見られ、14世紀後半から15世紀初頭にかけて、満助の父良助がこの地域に進出し、満助のときに定住化したというものである。
 簗田氏は、古河公方の家臣として活躍している。
 簗田高助は、第4代目の古河公方足利晴氏に娘を嫁がせ、簗田氏の勢力拡大を果たしている。

藤氏と義氏

 簗田高助の子晴助の代になると、北条氏康は、古河公方の古河城と、簗田氏の関宿城を交換するようもちかけ、晴助は北条氏の圧力に屈し、これを承諾した。北条氏の狙いは、関宿城を手に入れることにあった。
 関宿城を手に入れた北条氏康は、「一国を取り為され候うにも替わるべからず候」と、関宿城の重要性を述べている。
 1560年、越後の長尾景虎(上杉謙信)が関東に進出すると、北条氏康と古河公方をめぐって対立が生じた。4代目古河公方足利晴氏の子には、藤氏と義氏がいるが、この両者をめぐる争いになる。
 藤氏は、北条氏綱の娘を母としており、北条家の勢力が古河公方家に入り込んだ形となったわけだが、北条氏康は藤氏を5代目の古河公方としようとした。一方、関東管領となった上杉謙信は、藤氏が古河公方となるのを認めず、義氏を5代目の古河公方にしようとしたのである。
 藤氏は簗田晴助とは兄弟の間柄、晴助にとって藤氏が古河公方となることに異論はなく、上杉謙信と簗田晴助は同盟を結ぶ。それを知った義氏は、関宿城を脱出し、空城となった関宿城に再び簗田氏が入った。そして藤氏は古河城に入った。

関宿合戦

 上杉謙信が本国に帰国すると、北条氏の反撃が始まる。
 1562年、北条氏康は古河城を攻め、藤氏を捕えた。
 1565年、第一次関宿合戦が起こる。北条氏康は太田氏資とともに関宿城を攻撃するが、簗田氏はこれを撃退した。
 1568年、第二次関宿合戦が起こる。栗橋城主となった北条氏照は、山王山砦と不動山砦を築き、関宿城を攻撃した。第二次関宿合戦は、翌年に結ばれた越相同盟によって、北条軍は兵を引いた。このとき、越相同盟によって山王山砦は破却している。
 1574年、第三次関宿合戦が起こる。北条軍の攻撃に関宿城は持ちこたえられず、簗田氏は水海城へ退去し、関宿城は北条氏の支配下となった。

下総一国の要

 北条氏の支配下となった関宿城は、下総国の要の城となった。
 北条氏は、軍事面と経済面にわたる水上権を掌握し、下野進出の拠点となった。また、城下町は水運の拠点として繁栄した。

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