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白石城



一国一城令の例外

 1615年、大坂の陣後、江戸幕府は一国一城令を出した。一国一城令は、諸大名に対し、居城以外の城を破却しろという命令であるが、仙台藩は仙台城の他に、白石城も城として認められた。
 白石城は、地震や火災によって、度々被害を受け修理を繰り返した。特に、片倉宗景(10代)の時に起こった火災は、本丸を全焼させるなど大変なものだった。宗景はすぐ藩を通して幕府に白石城の普請を願い出て許可されるものの、再建までに10年の歳月がかかり、片倉家の財政は大変厳しくなった。

戊辰戦争後

 白石城は戊辰戦争の時に重要な役割を担った。すなわち、奥羽越列藩同盟の公議所が設けられたのである。だが、奥羽越列藩同盟の動きは一致せず、同盟から脱落する藩も出た。仙台藩は会津藩が降伏する少し前に降伏した。
 戊辰戦争後、白石は仙台藩から切り離されて南部家の所領となった。片倉家の者達は領地を失い、白石で帰農する者、北海道に移住する者とに分かれた。ところが、東京にいた白石藩知事の南部利恭は、白石への移住を拒否し、旧領の盛岡復帰を明治政府に嘆願していた。それが許されたために、南部利恭は盛岡藩知事となっている。
 南部家が旧領に戻った後の白石城は、按察府が置かれたがすぐに廃止され、兵部省、陸軍省、大蔵省と管轄が変わっていった。
 明治7年(1874年)に民間に払い下げとなり、白石城は解体された。


<現在の状況>

 白石城は、平成7年3月に復元された。復元された天守は、壮麗な姿をしている。
 ちなみに仙台城には天守がなかったが、白石城にはあった。


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 「仙台城」仙台藩伊達氏の居城。

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