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白石城


   

読み・・・しろいしじょう

所在地・・・宮城県白石市益岡町

別称・・・益岡城

築城年・・・1591年

築城者・・・蒲生氏郷

主な城主・・・刈田氏、白石氏、屋代景頼、蒲生郷成、石川昭光、甘糟清長、片倉氏

刈田氏、白石氏

 築城年を1591年と書いたが、実はそれ以前にも白石城はあった。しかし白石城がいつ頃から存在し、誰によって築かれたのかは不正確である。刈田経元が寛治年間(1087〜94年)から居住したことも言われており、その頃にはすでにあったのだろう。
 その後、刈田氏は伊達氏の旗下に属し、いつの頃からか「白石」と改名する。そして1586年に白石宗実が塩松城へ移ると、屋代景頼が宗実に代わって入った。
 1590年、秀吉の小田原攻め後、伊達家は旧芦名領とともに白石城を秀吉に没収された。

蒲生、上杉氏時代

 屋代景頼の後、白石城に入ったのは蒲生郷成。郷成は蒲生氏郷の家臣で、白石城は会津若松城の支城となった。蒲生氏時代に、白石城は「益岡城」と改名され、近代的な城へと生まれ変わる。
 1598年、蒲生氏郷の子秀行が宇都宮に移ると、上杉景勝の家臣甘糟清長が入城した。上杉氏は白石城の整備をし、益岡から白石へと地名を戻している。

片倉氏へ

 豊臣秀吉の病没後、徳川家康と石田三成との間に対立が生じた。会津の上杉景勝は三成に加担して戦備を整えたため、家康は伊達政宗に上杉氏討伐を命じる。
 政宗にとって、これは旧領回復の絶好の機会である。伏見にいた政宗は即座に帰国した。伊達軍が白石城を攻略すると、政宗は石川昭光に白石城を預けた。
 関ヶ原の戦い後、伊達政宗はこの地を家康から与えられ、政宗は白石城に片倉景綱を入れた。ここから白石城の片倉氏時代が始まる。

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