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大宝城


   

読み・・・たいほうじょう

所在地・・・茨城県下妻市大宝

築城年・・・1232年

築城者・・・下妻長政

主な城主・・・下妻氏


大宝城での奮戦

 南北朝時代の大宝城主は下妻政泰であり、政泰は南朝方の北畠親房に味方した。
 1341年11月、小田城が開城し、北畠親房が小田城から関城へ移り、それと共に春日顕国も興良親王を奉じて大宝城に入った。これにより、関城と大宝城は、北朝方の攻撃の的となっていくのである。
 関城と大宝城は互いに連絡をとっていたが、1342年に連絡路が遮断され、夜のみしか連絡をとることができなくなってしまった。そして同年3月、高師冬は関城と大宝城を同時に攻めることにし、激しい戦いが行われた。
 1343年になると戦況は悪化していった。春日顕国が懸命に奮戦するものの、戦況を挽回することはできなく、大宝城は同年11月に落城し、下妻政泰は戦死した。
 春日顕国はどう逃れたのか、1344年3月に大宝城を奪い返すことに成功した。だが、翌日に城は奪い返され、春日顕国は捕らえられて帰らぬ人となる。


<現在の状況>

 大宝城は国指定史跡にされており、大宝八幡宮の境内に立派な遺構が見られる。


<あわせて読みたいページ>


 「関城」南北朝の争乱の舞台。

 「伊佐城」伊達家が拠った南朝方の城。

 「小田城」北畠親房が『神皇正統記』を記した城。

大宝城の所在地→