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轟城



   

   

   



所在地・・・栃木県日光市轟(旧今市市)

築城年・・・鎌倉時代

築城者・・・畠山重慶

主な城主・・・畠山重慶


畠山重慶の反乱

 畠山重慶が轟城を拠点にして反乱を企てたという記録が『吾妻鏡』にある。
 『吾妻鏡』には、

 1213年9月19日、日光山別当である弁覚から急使が幕府に着き、畠山重忠の子重慶が日光山の麓あたりにこもって、浪人を集めたり祈祷に心をくだいたりしており、これは反乱を企てている証拠だと伝えたのである。これを聞いた3代将軍源実朝は、長沼宗政に重慶を生け捕りにしてくるよう命じた。
 9月26日、宗政は重慶の首を持って帰ってきた。実朝は、「重忠は誤って反乱を起こした。その子の重慶に反乱ができるものか。生け捕りにして問いただそうとしたのに、首を切ってしまった」と言い、実朝は不快な表情をした。

 とある(ごく簡単に要約)。
 その後の城の歴史については分からず、戦国時代には日光山勢力の出城の役目を果たしていたのだろうか。


<現在の状況>

 正方形の城であり、周囲の土塁が見事に残っている。土塁に沿って歩くと散策しやすい。なお、城の外側は断崖絶壁になっており、下から見上げると迫力がある。

轟城の地図→