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豊代城


   

   

     

読み・・・とよしろじょう

所在地・・・栃木県佐野市豊代町(旧葛生町)

別称・・・佐野源左衛門常世館

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・上佐野氏?


上佐野氏の拠点

 豊代城は、謡曲「鉢木」で知られる佐野源左衛門常世の居館であったとされるが、佐野常世に関しては不明な点が多い。佐野常世は上野国の人とも言われ、下野佐野氏との関連性も不明であり、豊代城とは直接の関係がないと言われている。
 だが、豊代城の近くにある「願成寺」には、佐野常世の墓と伝えられる石塔がある。

 さて、江田郁夫「中世佐野荘と佐野氏‐上佐野をめぐって‐」(『栃木県立文書館研究紀要』第7号)の指摘によると、鎌倉時代の佐野氏は、上佐野氏と下佐野氏に分かれていたとされる。
 そして、下佐野氏が佐野国綱の家系で惣領家であり、吉水を拠点にしていた。一方、上佐野氏は佐野景綱の家系から始まり、豊代城を拠点としていたという。
 戦国時代には両佐野氏は統一され、佐野氏の本拠は唐沢山城となる。


謡曲「鉢木」

 雪の降る夜、諸国を行脚している僧が、一軒の家を見つけて宿を求めた。宿の住人は、貧しい家であることを理由に断るも、この雪を思うと泊めないのも心苦しい。
 住人は僧を泊めることにし、貧しいながらも食事を与え、精一杯のおもてなしをした。だが、寒さをしのぐだけの木がない。そこで住人は、大切にしていた桜、梅、松の3つの鉢植えを叩き割り、その木を燃やしてしまうほどのおもてなしをした。
 僧は住人に名前を聞くと、佐野源左衛門常世という。
 常世が言うには、一族の者に財産を奪われてしまって貧しい生活をする境遇に落ちてしまった。それでも、鎌倉に大事が起こったならばすぐに駆けつけると言う。

 翌年、鎌倉で一大事が起こると、常世は急いで鎌倉へ駆けつけた。そして、あの僧が執権北条時頼であったことを知る。
 時頼は、常世が大切な鉢の木を燃やして暖めてくれたお礼とし、桜、梅、松にちなみ、越中の桜井、加賀の梅田、上野の松井田を与えた。、


<現在の状況>

 城内には「正雲寺公民館」がある。城の周囲を土塁が囲み、特に北側と西側の土塁は見事。
 なお、佐野常世の墓は、城跡から少し南東にある「願成寺」(鉢木町)にある。


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 「清水城」上佐野氏に対し、下佐野氏が拠点にしていたされる。


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