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結城城


   

   

   

読み・・・ゆうきじょう

所在地・・・茨城県結城市結城

築城年・・・1177〜80年

築城者・・・結城朝光

主な城主・・・結城氏


代々の城主

 藤原秀郷の後裔である小山政光(小山氏初代)の4男朝光が結城に入り、朝光が結城氏の祖となった。

 初代朝光・・・源頼朝は、源頼朝が伊豆に挙兵するとこれに応じて挙兵した。下野野木の宮で志田義広を討った功によって結城領を与えられ、結城氏を称したという。

 2代朝広・・・朝広は成人してから父の朝光と共に、結城家の創業に尽くした。32歳の時、将軍に随行して京都に赴く途中、越中で、将軍に反抗する粕谷乙左衛を討ち取った。また、陸奥白河郡の不良氏が幕府に敵対し、朝広は浅利知義と協力してこれを討伐した。
 なお、朝広の子である祐広は、白河結城氏の祖となっている。

 6代朝祐・・・朝祐の時に南北朝の動乱があった。結城氏は北朝方についた。そして足利尊氏に従って九州に出陣して戦死。

 7代直朝・・・直朝も北朝方に属する。直朝は下妻政泰と関宗祐を攻め、関城で戦死した。

 9代基光・・・結城氏が関東八家に選ばれたのは、この頃のようである。その八家というのは、千葉、長沼、佐竹、小山、小田、宇都宮、那須、結城である。

 13代成朝・・・結城合戦に破れて常陸佐竹氏を頼っていたが、後に本領安堵され結城氏の再興に努めた。

 16代政勝・・・『結城新法度』を制定し、城下町の保護策と家臣の規律を定めた。

 17代晴朝・・・上杉謙信についたり、小田原北条氏についたり、宇都宮広綱の子朝勝を養子にしたりと、戦国の乱世を迷走するが、豊臣秀吉が小田原攻めの時は秀吉についた。

 18代秀康・・・晴朝は宇都宮氏からの養子を廃し、徳川家康の次男結城秀康(秀吉の養子)を養子に迎えて18代目とした。関ヶ原合戦後、秀康は67万石の大々名となり、越前福井に移封となった。

結城合戦

 1438年、「永享の乱」が起き、室町幕府が鎌倉公方足利持氏を討った。その後、結城氏朝(11代)は、持氏の遺児春王丸と安王丸を擁して、幕府方と戦うこととなった。幕府方は総勢15万、それに対し結城方は2万であった。結城方はよく戦ったものの、1441年の春、城から火を出して落城した。
 氏朝は長男の持朝(12代)とともに自害し、足利持氏の遺児である春王丸と安王丸は捕えられ、首だけ京都に送られた。

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