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榎本城
本多忠純
1605年、本多忠純が榎本城に入り榎本藩が立藩。本多忠純は本多正信の3男であり、本多正純の弟である。忠純は大坂冬の陣、夏の陣で活躍し、1万石を加増されて2万8000石となった。
1622年「宇都宮釣天井事件」によって、本多正純が出羽へ流されれると、連座によって忠純にも幕府から呼び出された。忠純が江戸へ向かう途中、利根川を渡っている時に草履取りの半助というものに刺されて死亡、半助自身も主人の後を追って自害した。半助は、対岸の栗橋で忠純を捕まえる用意があることを知り、忠節の思いから主人を刺し殺したのである。
この事件を知った幕府は榎本城を没収することを決めた。その後、本多忠純の養子として入っていた本多政重(忠純の兄)の子政遂が、跡を継いで榎本藩主となるが26歳で病死。政遂の跡を犬千代が継ぐも5歳で亡くなり、相続人がいなくなったことで榎本藩は廃藩となる。
<現在の状況>
広範囲にわたって遺構が残っているため、遺構を探しに城跡を散策するのが楽しい。
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