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北古屋城


   

読み・・・きたこやじょう

所在地・・・栃木県芳賀郡茂木町飯野

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・不明


飯野の地

 茂木氏代々の所領の譲り渡しの様子は、「茂木家證文寫」(茂木文書)で見ることができる。北古屋城があった飯野の地に関しては、

 文和2年(1353)6月10日、茂木知貞が子又三郎知久に「下野國東茂木郡内飯野村」を譲り渡す。ちなみに茂木氏の当主は知久の兄知世。
 慶安2年(1362)9月29日、「茂木郡東西内飯野郷」が三郎朝音へと伝わる。朝音は知久の子であるが、知世の跡を継いで茂木氏の当主となる人物である。
 至徳元年(1384)12月13日、「下野國茂木庄東西内」の「飯野」を朝音から子の基知へ譲渡。
 嘉慶2年(1388)9月17日、基知は弟の幸楠丸(満知)に、「下野國茂木庄内東西内」の「飯野」を譲り渡す。
 応永11年(1404)□月25日、満知が子満王丸(知政)に「下野國茂木庄東西内」、「飯□(飯野)」を譲り渡す。

 というように、知貞から子の知久、知久から子の朝音、朝音から子の基知、基知から弟の満知、満知から子の知政へと代々受け継がれた。

 ところが、正長元年(1428)12月27日の「鎌倉公方足利持氏御判御教書」(茂木文書)によると、茂木満知が鎌倉公方足利持氏から「林・飯野□□(両郷)事、為勲功之賞」として、飯野が与えられている。
 代々茂木氏が所領を譲り渡してきた飯野であったが、もしかすると、この時に初めて茂木氏が飯野を所領として正式に得た可能性もある。

茂木氏家臣団の中での飯野

 茂木氏の場合、文明14年(1482)11月に「茂木家臣給分注文」(茂木文書)が作成され、比較的早い段階で家臣団が編成されていた。
 その中で、「飯野」と関わりがあるのは、27貫500文を所領していた塩澤信濃守、そのうち2貫文が「飯野郷畠」である。また、彦八が飯野で1貫文、彌太郎が飯野で1貫500文という記載がある。


<現在の状況>

 国道123号線の西側丘陵に北古屋城がある。本丸跡は田畑であるが、周囲が民家であるため、行きづらく見つけづらい場所となっている。本丸の西に堀が残る。

北古屋城の地図→