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大田原氏累代の墓碑


   

   



所在地・・・栃木県那須烏山市森田


案内板より

 慶長5年(1600)、大田原城主大田原綱清の次子増清が関ヶ原の戦いの功績により森田村などを与えられ、小塙に陣屋(森田陣屋)を築き、以後同所を累代の居館としました。
 芳朝寺は那須太郎光隆が森田に分地された際、字石原の地に建立されたと言われてます。光隆の法名を「大雲芳朝居士」と号したことから、寺院名は「大雲山光隆院芳朝寺」といいます。
 大田原氏領となってからは同氏の菩提所となり、元禄16年(1703)大田原清勝の時、現在地に移転しました。
 初代増清をはじめ大田原氏累代の墓碑が並び、近世の歴史を物語る貴重な史跡です。