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下館城
明治まで続いた城
1639年、8代目の勝隆の時、備中へ転封となった。
その後、下館城に水戸徳川頼房の長子頼重(光圀の兄)が入った。頼重が讃岐に移ると、下館城は一時天領とり、大名や旗本が一年交代で在番を命じられた。
1663年、増山正弥が城主となると、それ以後、井上正岑、黒田直邦、石川総茂と城主が交代した。石川総茂が入ってからは交代がなく、石川氏9代が続き、明治維新を迎えた。
<現在の状況>
下館城は住宅に埋もれてるも、東の五行川沿いから城を見ると、城の迫力が分かる。
ちなみに、下館城から北にある定林寺には、「水谷家歴代の墓」がある。
<あわせて読みたいページ>
「結城城」水谷氏の主君、結城氏の居城。
「久下田城」水谷正村(蟠竜斎)が築いた城。
下館城の地図→