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下野国庁跡


   

   


所在地・・・栃木県栃木市田村町




国庁での仕事

 下野国庁は、律令制下における地方統制の中核として建てられた役所であった。
 国庁は、政治、経済、交易等の下野国古代文化を集約する拠点だったのである。
 なお、下野国府の想定される区域は、東西1.5キロメートル、南北1.5キロメートル以上にもおよぶ。

 国庁では、派遣された国司が中央政府の命令をもとに国を治める仕事をしていた。下野国に派遣された国司は、守、介、掾、目の4人と、3人の史生(書記)であり、国庁で働く下級の役人を使って以下の仕事をしていた。
 @戸籍の作成
 A祖、調、庸などの税の徴収
 B国内の見回り
 Cもめごとの裁定
 D下野国内の様子を中央へ報告 など

4期の変遷

 国庁の建物は、8世紀前半頃に建てられ、それをほぼ踏襲しながら10世紀はじめまで、約200年続いた。その間、大きく分けて4回の建てかえが行われた。
 T期・・・8世紀前半代。
      掘立柱建物群で構成。屋根は、板か檜皮葺。
      正殿の前に建てられた前殿は、東西に並ぶ大きさの建物2棟から成る。1棟の大きさは東西約9メートル、南北約4.8メートル。
      前殿を挟むように東西に西脇殿と東脇殿が建ち並ぶ。
      西脇殿は東西約4.8メートル、南北約45メートル。
      東脇殿も東西約4.8メートル、南北約45メートル。
 U期・・・8世紀後半〜8世紀末まで。
      T期の建物配置を踏襲して建てかえられる。
      2棟から成っていた前殿が1棟にまとめられ、東西約22.2メートル、南北約5.4メートル。礎石建物に改め、瓦葺きの屋根とした。
      西脇殿と東脇殿も、掘立柱建物ではあるものの瓦葺きとした。
      この時期に西脇殿と東脇殿の掘立柱塀が791年頃に火災によって消失する。
 V期・・・9世紀前半代。
      前殿の規模を縮小。東西13.2メートル、南北6.6メートルとなる。
      西脇殿、東脇殿ともに礎石建物となる。大きさはともに、東西約4.8メートル、南北約45メートル。
 W期・・・9世紀後半〜10世紀はじめ。
      前殿がなくなる。
      西脇殿、東脇殿が再び掘立柱建物となり、大きさは東西約5.4メートル、南北約43.8メートル。

前殿、西脇殿、東脇殿

 前殿は、国庁域内の中央に位置し、国府の役人が朝賀や元旦の儀式などを行った施設。復元建物(写真左上)は、U期のもの。
 西脇殿、東脇殿は、長大な南北棟の建物で、国府の役人が事務を行った施設。西脇殿、東脇殿の位置に建てられている藤棚(写真下)は、柱の位置、太さ、軒の高さを復元しながら製作したもの。