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下野薬師寺




  


所在地・・・栃木県下野市薬師寺




三戒壇

 下野薬師寺の創建は7世紀末と考えられている。
 761年、戒壇が下野薬師寺に設置された。当時仏教は乱れていた。僧侶として戒律を守る人が少なくなり、僧侶になれば税を免れることから勝手に出家する庶民が増えていた。そのため「受戒」を行える僧鑑真を唐より招いたのである。その受戒を行える場所が「戒壇」で、まず東大寺に設置され、その後下野薬師寺と筑紫観世音寺に戒壇が設置された。東大寺、下野薬師寺、筑紫観世音寺は「三戒壇」と呼ばれた。
 下野薬師寺は、東国で受戒を行える寺院として重要度の高い地位を得た。

安国寺へ

 天台宗の比叡山延暦寺に戒壇が設置されて独自に受戒を行えるようになると、三戒壇の地位が揺らぎ始め、下野薬師寺は衰退していった。
 鎌倉時代、慈猛上人によって衰退しつつあった下野薬師寺は復興された。
 室町幕府を開いた足利尊氏は、戦死者を弔うために全国に「安国寺」と「利生塔」を建てた。このとき下野薬師寺は安国寺と改称された。

六角堂

 戦国時代、下野薬師寺は後北条氏によって焼かれ、ほとんどの堂塔が消失した。
 下野薬師寺は、江戸時代には小寺院となって存続し、江戸時代末、戒壇の跡地に六角堂が建てられた。