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多賀谷城



下妻藩

 1606年、徳川頼房が10万石で下妻に入った。頼房は1609年に水戸へ移ると、下妻藩は幕領となった。
 1615年、松平忠昌が3万石で、1616年には松平定綱が同じく3万石でそれぞれ入り、1619年に定綱が遠江掛川に移封すると再度下妻藩は幕領となった。
 幕領時代は約100年にわたり、1712年に井上正長が1万石で入封した。以後、井上氏による陣屋支配が行われ、正敦、正辰、正意、正棠、正広、正建、正蘆、正民、正健、正誠、正信、正兼、正己と続き、明治維新を迎えた。

 *注・・・下妻藩の居城は城ではなく陣屋である。


<現在の状況>

 多賀谷城は現在公園となって親しまれている。本丸跡の土盛り(写真右)があるが、残念ながら遺構とは思われない。
 ちなみに多賀谷城は市指定史跡である。

多賀谷城の地図→