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横田城
読み・・・よこたじょう
所在地・・・栃木県宇都宮市兵庫塚3丁目(旧宇都宮市)
築城年・・・1237年
築城者・・・横田頼業
主な城主・・・横田氏
横田氏
横田城は宇都宮城の南側を抑える役割を持っていた。
横田城を築いた横田頼業は、宇都宮頼綱の二男であり、頼業は1249年に上三川城を築いて移住する。
1380年、横田師綱と綱業父子は、宇都宮基綱と小山義政の戦い「茂原合戦」で討ち死にし、さらに横田綱維、維業、弥業、茂業、業通の五兄弟は1549年に起こった「五月女坂合戦」で討ち死にした。
鎌倉公方の攻撃
時代が前後してしまうが、鎌倉公方足利基氏が宇都宮氏綱を討伐するための軍を発した時、横田城は落城している。
応安元年(1368)9月の「嶋津弥三郎代田村忠長軍忠状」(嶋津家文書)の中で、吹上の陣を後にした軍勢が、
「次追落横田要害」
と、横田の地を落としている。
<現在の状況>
島遼伍先生の努力が実を結び、横田城跡碑が建てられた。横田城跡碑が建てられたことは、注目に値する出来事である。
<あわせて読みたいページ>
「宇都宮城」横田氏の本家、宇都宮氏の居城。
「横田家累代の墓(善応寺)」上三川町にある横田氏の墓。
「横田氏一族」横田氏一族の系図。
横田城の地図→