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米沢城

 

土塁と堀。三月に撮影したので、雪が積もっている。  上杉家の祖、上杉謙信の像。

上杉神社。本丸跡である。  上杉家10代当主、上杉治憲(鷹山)の像。ケネディ大統領も尊敬した人物である。

 

所在地・・・山形県米沢市丸の内1丁目

築城年・・・1238年?

築城者・・・長井時広

主な城主・・・長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏

 

*長井氏について

 米沢城は、大江広元の2男、長井時広が地頭職に任命され、1238年の入部と共に築城されたようだが、定かではない。長井氏は代々鎌倉幕府の要職に就いていた為、代官を派遣して統治していたらしい。長井氏は8代約150年続くが、1380年に伊達宗遠(8代)が置賜地方を攻略すると、伊達家の支配下となる。

*伊達氏の勢力

 伊達家は、伊達・信夫地方に本拠地を置いていたが、置賜地方には一族を配置し、伊達家にとって置賜地方は重要な所だったようで、時には、主勢力を置賜地方に移したりもした。天文の乱(1542〜1547年)と呼ばれる14代稙宗と15代晴宗父子の争いによって、伊達家は二分し大騒乱となり、この乱に勝った晴宗は1548年に本拠を米沢城に移した。この天文の乱は、伊達家家中の団結力を強め、安定に向かう結果を生みだした。 本拠を米沢城に移した伊達家は、米沢城を核として発展することになる。伊達政宗(17代)もこの城で生まれ、伊達家の全盛期を築くことになるが、1590年に政宗は豊臣秀吉から岩出山城への移封を命じられ、米沢を失うことになる。

*伊達以後の米沢城

 伊達家の後、米沢城には1591年、蒲生氏郷の部将蒲生郷安が入部したが、1597年に蒲生秀行(氏郷の息子、氏郷は1595年に歿)は宇都宮に移封され、越後から上杉景勝が会津に移封された際、米沢城には上杉家の重臣直江兼続が入城することになる。なお、関ヶ原合戦の後、上杉景勝は会津120万石から米沢30万石に減封された。 

 

 

<現在の状況>

 管理人が訪れた時、米沢城の周りで工事をしており、それに雪の量が想像以上に多かったので、それほどじっくりと見れなかったが、山形城に限らず、米沢城にも力を入れてるなと感じた。

オススメ度 ★★★★★

 

米沢城の所在地→