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慈眼院結城家御廟





左から
無銘2基(どちらかが政勝の子明朝)、政勝(16代)、氏廣(14代)、持朝(12代)、満廣(10代)


左から
直光(8代)、朝祐(6代)、時廣(4代)、朝廣(2代)、朝光(初代)、廣綱(3代)


左から
廣綱(3代)、貞廣(5代)、直朝(7代)、基光(9代)、氏朝(11代)


左から
成朝(13代)、政朝(15代)、無銘、妙仙



所在地・・・茨城県結城市結城




結城氏歴代の御廟

 かつてこの地は、小塙・乗国寺末の福聚山慈眼院(ふくじゅさんじげんいん)という曹洞宗寺院の境内で、結城氏歴代の御廟としてふさわしいものでした。
 戦国時代の結城家16代政勝は、鎌倉時代からの名門結城家の将来を託した嫡子・明朝に先立たれ、世の無常を感じてか出家し、自ら大雲藤長と名乗り有髪の僧となって、天文22(1553)年に慈眼院を創建しました。
 御廟は周囲に堀を構え、塚状に土を盛り、土塁を廻らし、床面には大谷石を敷き詰め、さらに塚全体に玉石を並べるなど、排水に細心の注意が施されています。
 その中に前壇を設け、初代朝光から16代政勝に加えて明朝、さらに妙仙ほか無銘の2基を含めて、20基の花崗岩製の五輪塔が並んでいます。
 御廟成立の時期については次のような説があります。
 (1)政勝が隠居後、各所にあった先祖の墓を移して、惣御廟を築造した。
 (2)18代秀康が越前に転封するにあたり、結城家に関わる諸寺院を越前に移転するのに際し、各寺院等の歴代の墓を移して御廟を築造した。
 (3)秀康の転封後、この地方を治めた代官(伊奈備前守忠次)が、領民懐柔策の一環として結城氏歴代の御廟を築造した。

※案内板を一部変更。