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野木城


   

   

読み・・・のぎじょう

所在地・・・栃木県下都賀郡野木町野木

別称・・・野木宮城

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・野木氏?


野木原の戦い

 嘉吉元年(1441)4月5日の「将軍足利義教感状」(小山文書)にて、野木地域で合戦が行われたことが出てくる。すなわち、
 「於野木原、被官人致合戦、討捕武藤・石崎等之条、尤以神妙也」
 と、これは小山持政に宛てた書状であり、野木原において、小山氏の被官人が武藤と石崎などを討ったという。
 この武藤と石崎が、誰を指すのかは分からないが、結城合戦関連の戦いである可能性はある。

小山氏領

 年不詳7月23日の「古河公方足利政氏安堵状」(小山文書)によると、
 「野木郷・瀬下郷並楢木郷之事、成敗不可有相違候」
 とあり、古河公方足利政氏は、小山成長に野木郷・瀬下郷・楢木郷を安堵した。瀬下郷(せじものごう)がどこを指すのかは分からず、楢木郷(ならのきごう)は寒川郡にあった。

 野木の地は、元々は小山氏の所領であったが、小山義政の乱後に没収されて鎌倉公方(古河公方)の御料所となり、そして再度小山氏の所領となったとされる。

加藤五左衛門尉

 小田原攻めの後、北条氏についた小山氏は領地を没収されて、旧小山氏領は結城氏が継いだ。そして文禄5年(1596)正月20日の「結城秀康知行充行状写」(秋田藩家蔵文書)には、
 「高貳百石者 小山領野木村内」
 とあることから、加藤五左衛門尉に結城秀康が200石を与えていることが分かる。

野木宮合戦

 また野木の地では、1183年2月に「野木宮合戦」が行われている。
 1180年に伊豆で挙兵した源頼朝は、関東を支配下におさめるべく勢力を拡大していく中、常陸国信太荘を本拠地としていた志太義広は木曽義仲と合流すべく西へ向けて軍勢を進めた。その志太義広軍が小山氏領を通過する際、頼朝に味方している小山氏は志太軍と戦って勝った。
 その後、志太義広は木曽義仲と合流し、義仲と共に行動する。


<現在の状況>

 思川浄化センターの南東に野木城はある。野木城のある地形は非常に興味深い。
 野木城は、稲荷谷と清水谷に挟まれた台地上(右下写真参照)にあり、迫力ある地形である。


<あわせて読みたいページ>


 「祇園城」小山氏の居城。

 「法音寺城」野木町にある城。

 「逆川城」野木町にある城。

 「陸地の孤島」ブログ「九鬼の響き」、野木城の記述。


野木町の城一覧

野木城の地図→