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水書氏屋敷
読み・・・みずがきしやしき
所在地・・・茨城県結城市江川新宿
別称・・・毛呂郷の代官館
築城年・・・不明
築城者・・・不明
主な城主・・・称名寺の代官
毛呂郷
1321年8月、山河判官入道暁尊は、毛呂郷を武蔵国の称名寺に寄進した。当時結城郡は、北部を結城氏が、南部を山河氏が支配し、暁尊が所領の一部である毛呂郷を寄進したのである。
この暁尊とは、山河貞重であると考えられ、寄進した背景には執権北条氏との関係があった。
称名寺は北条氏一族である金沢実時が建立したものであり、毛呂郷を称名寺に寄進することによって、山河氏と北条氏との結びつきを強化して、自家の存続を図ったのである。
称名寺の毛呂郷支配は、代官が1、2名ほど派遣され、山河氏と協力して行っていた。その代官の館が水書氏屋敷であった。
<現在の状況>
水書氏屋敷は個人宅となっていて立ち入ることはできないが、その周囲を堀が囲っており、かなり立派である。
<あわせて読みたいページ>
「山川氏館」結城氏の東持寺にある、山河氏(山川氏)の居城。
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「水野忠邦の墓」水書氏屋敷から東へ行くとある史跡。
水書氏屋敷の地図→