大関増裕

今回は史跡ではなく、2004年10月3日〜11月23日まで栃木県立博物館で企画展示されていた大関増裕を取り上げます。
上記の写真は、県立博物館で撮ったものです。写真を載せるにあたり、県立博物館の方へは一応連絡しておきました。
●黒羽藩主へ
大関増裕は、横須賀藩主西尾忠善の世継忠宝の第2子として1837年に生まれた。幼名を藤十郎という(便宜上、以後増裕と称す)。だが、世継である忠宝は藩主となる前(増裕5歳の時)に没してしまった。増裕は8歳になるまで横須賀で過ごし、その後江戸藩邸に移って西洋砲術や蘭学を学ぶことになる。
増裕は1861年に黒羽藩大関家の養子となり家督を継ぐのであるが、ここで黒羽藩について概略しておく。
黒羽藩大関氏は、1万8千石の外様大名である。黒羽藩では、江戸時代中期頃から財政難に悩まされていた。その上、1811年に養子藩主となった増業(大洲藩出身)の時から、藩の重臣と養子藩主との仲が悪くなり、藩の実権は藩の重臣へと移っていたのである。増業の子増昭の跡を継いだ増徳は、篠山藩から迎えられたが、藩の重臣は増徳を監禁するに至っているほどであった。
増徳の跡を継いだのが増裕であったが、彼が藩主となった藩の状態は、まさに混乱していたのであった。
●幕府の要職
1861年に黒羽藩主となった増裕は、その翌年4月、幕府の兵学校である「講武所奉行」に就任した。さらに増裕は幕府の軍制改革に加わり、同年12月には初代「陸軍奉行」に就任している。
増裕は若くして幕府の軍制改革の要職に抜擢されているのであるが、これは彼の能力(特に西洋式の兵学)が秀でていた証拠であり、その能力が認められていたと言っても過言ではないだろう。
増裕はわずか4ヶ月で陸軍奉行を辞任するものの、その間の彼の功績は重要なものであった。
●藩政改革
1863年3月、増裕は病を理由に幕府の役職から退き、同年5月に初めて黒羽に入った。黒羽に入る前、増裕は藩の家臣達に対し「百事全権委任」を迫り、これを藩側に認めさせた上で黒羽に入ったのである。
黒羽に入った増裕は、次々と藩政改革に乗り出した。特に増裕が重視したのは西洋式砲術の導入した兵制改革であった。1864年には人事の刷新をするなど、藩政改革は本格化していった。
●再び幕府の要職へ
1865年6月、増裕は幕府から呼び出され、7月に新設の「海軍奉行」に就任した。
海軍奉行に就任した増裕は、軍艦の充実、外国との折衝、横須賀造船所の建設事業などの様々な課題が山積みとなっており、それらを処理しながら海軍の整備に奔走した。また、増裕の部下には軍艦奉行である勝海舟がいて、増裕と勝の仲は親密なものであった。
一方、黒羽藩では、増裕が不在中でも藩政改革が継続し、洋式訓練を施した黒羽藩独自の軍隊が組織されるようになっていた。
●謎の死
徳川慶喜が大政奉還した後、増裕は1867年12月3日に江戸を発ち、6日に黒羽に入った。黒羽に帰って来た重要な目的は、農兵の訓練を見るというもので、その訓練実施の日は12月14日と決まった。
ところが、12月9日、増裕は遊猟中に突然死する。増裕が持っていた鉄砲(家臣の証言が正しければ、その鉄砲は当時最新鋭のものであり、全長が1メートルもある)が発砲し、増裕の左頬から右耳へと銃弾が貫通したというのであるが、この死をめぐり、自殺説・他殺説・事故説が存在する。
増裕の死は隠され、養子が決まるまでの間は病気療養中ということになった。
増裕の死後も軍制改革が頓挫することはなく、黒羽藩は戊辰戦争で新政府軍として参加した。
●最後に
最後に、増裕の死について管理人の考えを一言添えておきます。
管理人は、増裕の死は自殺ではないと見ている。その理由として、1メートルの鉄砲をどうやって自分の顔に撃つことができるのかという疑問もあるが、特に気になった点は養子が決まっていない段階での死ということだった。
1868年2月4日に、老中稲葉正邦からすでに死んでいる増裕の元に書状が届いた。その内容は、徳川慶喜が病気の具合を気にしているというものであった。翌日2月5日、養子が決定したので認めて欲しいという「急養子願」が増裕の名で出されたのである。
死んだ人間の元に書状が届き、死んだ人間から急養子願が出されているというのは、一見すると奇妙な話のように思えるが、増裕の死は隠されたままだったので、こういう事態が起きたのである。
増裕が死んだ年齢は30歳だったので、そのような年齢で跡継ぎ問題は特に考えるようなことではなかったのであろう。だが、跡継ぎがいないまま死ぬとなると、自分の死後の藩の行く末(自分が手がけた藩政改革の行く末も含み)を当然考えるだろうし、ややもすると、藩そのものが消えてしまいかねない。
このようなことを考えると、増裕が自殺したとは考えられないのである。したがって、管理人は他殺か事故であろうと思うのだが、真相はどうなのだろうか?
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