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豊田城


   

読み・・・とよたじょう

所在地・・・茨城県常総市本豊田(旧石下町)

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・豊田氏


豊田氏について

 豊田氏は坂東平氏の流れをくんでいる。
 高望王-平国香-貞盛-維幹(貞盛の弟繁盛の子で、貞盛の養子となる)と続き、維幹が多気氏の祖となる。さらに多気維幹-為幹-重幹と続いた後、重幹の子らが坂東平氏の諸氏を生み出すこととなった。豊田氏もその1つであり、重幹の子政幹が豊田氏の祖となる。

 豊田氏は鎌倉幕府の御家人であったが、戦国期になるまでの動向がよく分かっていない。

豊田治親の暗殺

 戦国時代、この地域では多賀谷氏と小田氏が対立していた。
 豊田氏は小田氏に属していたようで、1558年に多賀谷軍が豊田領に侵攻すると、豊田氏は小田氏の援軍を得て、長峰原・蛭沼で多賀谷軍を撃退したという。
 1578年(1575年か?)、多賀谷重経の家臣白井全洞が豊田治親の家臣飯見大膳正に近づいた。両者は婚姻関係を結ぶと、白井全洞は飯見大膳正を唆し、飯見大膳正は主君の豊田治親を暗殺。飯見大膳正も間もなく多賀谷重経に殺害された。
 その後、豊田城は多賀谷重経に攻められ落城。豊田氏は滅亡し、豊田領は多賀谷氏の支配下となった。


<現在の状況>

 豊田城は河川改修と土地改良により遺構は消滅。石碑がその存在を教えてくれている。


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 「石毛城」豊田城の支城。

豊田城の地図→