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石毛城
読み・・・いしげじょう
所在地・・・茨城県常総市本石下(旧石下町)
別称・・・本石毛城
築城年・・・天文年間?(1532〜55年)
築城者・・・豊田氏
主な城主・・・豊田政重、豊田中務?
豊田城の支城
石毛城は、天文年間(1532〜55年)に豊田城の支城として築かれ、豊田城主豊田治親の弟豊田政重が入ったという。
当時の情勢は、多賀谷氏が勢力拡大をして豊田領に侵攻してきており、豊田氏は小田氏の援軍を得て多賀谷氏と戦っていた。
1578年(1575年か?)、多賀谷重経の謀略により豊田治親は家臣の飯見大膳正に殺害され、豊田城は多賀谷重経に攻められ落城。石毛城も多賀谷氏に攻められ落城した。
豊田中務の存在
石毛城の歴史はもう1つある。
多賀谷家稙が文明年間(1469〜87)に豊田領に侵攻し、豊田中務の向石毛城を攻撃して、豊田中務は多賀谷氏に従ったという。
その向石毛城は、石毛城の豊田中務が向石毛城の支城として築き、向石毛城を「西館」と称した。
豊田中務は豊田城の豊田氏と同族であるようだが、その具体的な関係性は不明である。
<現在の状況>
石毛八幡神社が石毛城跡であり、神社の北側と西側に土塁が残る。
石毛城にも大きな石碑があり、非常に立派である。
<あわせて読みたいページ>
「豊田城」豊田氏の居城。
「向石毛城」石毛城の支城?
石毛城の地図→