トップ県外の城東京都板橋区>赤塚城

赤塚城


   

   

   

読み・・・あかつかじょう

所在地・・・東京都板橋区赤塚5丁目

別称・・・千葉氏城、城山

築城年・・・1456年?

築城者・・・千葉自胤?

主な城主・・・赤塚氏?、千葉氏、松戸越前守


武蔵千葉氏

 下総の名族千葉氏に相続争いが起こると、千葉実胤と自胤兄弟は一族の馬加氏から攻撃を受け、武蔵へ逃れて太田道灌を頼った。実胤は石浜城、自胤は赤塚城に入った。
 1477年、太田道灌は豊島泰明の平塚城を攻めた。泰明の兄泰経は、石神井城と練馬城の兵を率いて太田軍を奇襲し、太田軍と豊島軍は江古田・沼袋原で激突した。この戦いに千葉自胤も加わっており、豊島軍は大敗、平塚城主豊島泰明は討死し、豊島氏の一族である板橋氏、赤塚氏ら150余名が戦死したという。
 このことから、赤塚氏が赤塚の地にいたのでは?という疑問がある。また、千葉自胤が1456年に赤塚城に入ってるために、両者は同じ時期に存在していた?という疑問もある。

 自種は、太田道灌に従って各地を転戦し、領地を拡大して武蔵千葉氏の地盤を確立した。
 やがて北条氏が武蔵へ勢力を伸ばすと、武蔵千葉氏は北条氏の支配下となり、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、赤塚城に千葉氏家臣松戸越前守が入っていた。
 北条氏滅亡後、赤塚城は廃城となった。


<現在の状況>

 城跡は赤塚溜池公園となっていて、憩いの場となっている。園内にある池は水堀の跡であるという。
 園内の南側は丘になっていて、登ると本丸跡、さらに南へ行くと二の丸跡があり、二の丸跡には条蓮寺が建つ。


<あわせて読みたいページ>


 「石浜城」千葉家の家督相続争いに際し、千葉実胤が逃れた城。

 「志村城」赤塚城と同じく板橋区にあり、赤塚城の支城。

赤塚城の所在地→