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榎本城

 

   

 

所在地・・・栃木県栃木市大平町真弓(旧大平町)

築城年・・・1185年か1558年

築城者・・・小山宗長か高綱

主な城主・・・榎本氏、近藤綱秀、児玉庄左衛門、本多忠純

 

皆川氏の攻撃

 榎本城は、1185年に小山宗長が築城したといわれ、また、1558年に小山高綱が築城したとも言われている。榎本城は祗園城の支城の役目を担っていた。
 1564年、北条氏政が皆川城の皆川俊宗に榎本城攻めを命じた。
 11月16日に皆川軍は攻撃を開始し、榎本軍は皆川軍の攻撃をよく支えるものの苦戦が続いた。高綱自ら城から出て戦ったが、敵が放った矢に倒れ自害してしまう。19日、皆川俊宗は榎本城に使者を送り、北条氏に降るよう勧め、高綱の子高満は北条氏に降った。 

佐野氏の攻撃

 榎本城が北条氏についた後、1577年に唐沢山城の佐野宗綱は榎本城を攻めた。
 榎本軍は佐野軍の攻撃をよく防いだが、佐野軍が放った火によって城は焼け落ちた。高満は小田原に逃れ、その後北条軍は大軍をもって唐沢山城を攻めるものの退陣し、榎本城を奪還せずに帰還した。
 1583年、佐野宗綱は足利城の長尾顕長との戦いで討死。榎本城は再び北条氏のものとなった。だが、北条氏は高満を榎本城に帰さず、近藤綱秀を榎本城城主とした。近藤綱秀は北条氏照の重臣であった。

結城氏の攻撃

 1590年、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、近藤綱秀は氏照の命で八王子城を守ったが討死してしまう。
 榎本城は、城主である近藤綱秀が留守の間、結城晴朝に攻められ落城した。榎本城は1603年まで結城氏のものとなり、児玉庄左衛門が城に入っていたがやがて廃城となる。

 

 

江戸時代へ

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