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今市御成御殿


   

   

 

読み・・・いまいちおなりごてん

所在地・・・栃木県日光市今市(旧今市市)

別称・・・如来寺御殿

築城年・・・1632

築城者・・・江戸幕府

主な城主・・・徳川家光

 

喪中の家光

 1632年は徳川家康の17回忌に当たり、4月に徳川家光は日光社参を行った。
 ところが、1632年は1月24日に父の秀忠が亡くなっており、家光は喪中であった。喪中でありながら家光は日光社参を行い、自身は日光へは入らず、如来寺の境内に建造させた今市御成御殿に留まった。そして家光は、井伊直孝を代参させ、土井利勝に祭事を行わせている。


家光の日光社参

 1634年9月に日光社参を行った家光は、日光東照社の大造替を着工させた。この時の社参では、家光は今市御成御殿には宿泊せず、宇都宮城に泊っている。
 大造替が行われた東照社は1636年に完成し、4月には家光の日光社参が行われた。この社参では、往復ともに今市御成御殿で宿泊。また、朝鮮使節が初めて日光参りを行ったのも、大造替が成ったこの年である。
 次の家光の日光社参は1640年。この時に今市御成御殿は修理が行われ、御殿は休憩として使用されるも宿泊していない。
 続いて家光は、1642年と1648年に日光社参を行っているが、今市御成御殿は使用されなかったようである。

1代限りの御殿
 
 1649年、家綱の日光社参が行われた。この時の家綱は9歳であり、大納言である。
 病弱であった家綱の日光社参は、日光ではわずか1泊しかしなかったが、移動で多くの時間が費やされた。今市御成御殿には、往復で宿泊している。
 1651年、家光の死によって将軍となった家綱は、1663年に日光社参を行っている。この時、今市御成御殿は使用されず、その後も使用されていない。よって、今市御成御殿は、家光が1代だけで使っていた御殿と言える。
 1665年には御殿の建物が如来寺に下附され、1742年には火災で焼失。御殿が再建されることはなかった。





<現在の状況>

 東武日光線「上今市駅」と「下今市駅」の中間に、御成御殿が建てられていた如来寺がある。

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 「今市客館
朝鮮使節が日光参りで用いた建物。

今市御成御殿の所在地→