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真壁城



浅野長政の隠居料

 関ヶ原の戦い後、浅野幸長は紀伊和歌山37万6000石を与えられた。幸長の父長政は隠居して江戸に住んでおり、隠居料として真壁で5万石を与えられ、こうして真壁藩が立藩した。
 長政は1611年に死去し、その跡を三男の長重が下野真岡より移って相続している。

笠間藩領となる

 浅野長重は、大坂の陣を含む数々の功績から加増の沙汰を受けた。しかし長重は、父長政の墓所がある真壁の地を所領を望んだため、真壁の地を含んで1622年に5万3500石で笠間へ移った。こうして真壁藩は笠間藩に吸収される形で廃藩となった。


<現在の状況>

 真壁城は国指定史跡になっている。復元された土塁が美しい姿を放っている。


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 「笠間城」浅野長重が加増を受けて移った地。

真壁城の地図→