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芳賀城



浅野氏、堀氏、稲葉氏

 芳賀氏が宇都宮氏とともに滅亡した後、1601年に浅野長政の三男長重が2万石を与えられて芳賀城に入った。長重は1611年に父長政の隠栖領常陸真壁の5万石を相続して真壁へ移った。
 浅野長重の後、堀親良が1万2千石で入封し、1627年に下野烏山へ2万5千石で転封となる。
 堀親良の後は稲葉正成が2万石で入封した。稲葉正成といえば、その妻は春日局であり、正勝の子正勝は徳川家光に仕え、老中など幕府の要職に就いてよく働いた。正勝は父正成の遺領と自領を合わせて4万石の大名であり、1632年には4万5千石の加増を受けて相模小田原へ転封した。
 稲葉正勝が小田原へ転封となると真岡藩は廃藩し、小田原藩の飛地となったが、1783年からは天領になって代官所となる。


<現在の状況>

 城跡は、城山公園や真岡小学校になっている。堅固な土塁が目に飛びつき、その堅城さを物語るかのようである。


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