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佐野城
読み・・・さのじょう
所在地・・・栃木県佐野市若松町(旧佐野市)
別称・・・春日城、春日岡城、姥城、姥ヶ池城、旭岡城
築城年・・・1602年
築城者・・・佐野信吉
主な城主・・・佐野氏
築城のいきさつ
佐野氏は藤原秀郷から出た家である。
秀郷からの流れは、秀郷-千常-文脩-兼光-頼行-兼行-成行-成綱-家綱-有綱-基綱と、基綱が佐野氏の祖となる。
その佐野氏は、戦国時代には唐沢山城を居城としていた。それがなぜ、唐沢山城から佐野城に移ったのか、それには2説の理由が考えられている。
1説は、江戸から80キロ圏内の山城は禁令されていたため、唐沢山から現在の場所に移ったということ。
もう1説は、江戸に火災が発生した時、佐野信吉は唐沢山城からこれをいち早く発見し、江戸に駆けつけた。これに対し家康は、江戸城を見下ろす唐沢山城を不快に思い、佐野城へ移させたという。
短命の城
1602年に築城された佐野城は、短期間で廃城になってしまった。
徳川家康の側近で佐渡の金山奉行だった大久保長安が、私財を蓄えたことで幕府から疑惑を受けた。長安が病死するとその遺産は没収され、7人の子供は切腹させられた。信吉もこの事件に連座したということで所領を没収され、身柄は松本城主小笠原家に預けられた。
これにより、佐野氏は滅亡となった。
<現在の状況>
佐野城は公園となり、その範囲はなかなか広大である。短い歴史の城ながらも、立派にその存在を今に伝えている。
<あわせて読みたいページ>
「唐沢山城」佐野城に移る前の佐野氏の居城。
「堀米城」佐野城から北にある城。
「堀米陣屋」佐野城から北東にある、彦根藩の出張陣屋。
「宇都宮仕置」秀吉によって宇都宮で行われた奥州仕置の第一段、これにより佐野氏は存続する。
<佐野市の城一覧>
佐野城の地図→