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世田谷城


   

   

読み・・・せたがやじょう

所在地・・・東京都世田谷区豪徳寺2丁目

築城年・・・南北朝時代

築城者・・・吉良氏

主な城主・・・吉良氏


世田谷吉良氏

 足利氏の庶流である吉良氏は三河を本拠としていた。その分家が1366年、鎌倉公方足利基氏から戦功として世田谷の地を与えられたことで、世田谷吉良氏が誕生した。
 戦国時代、世田谷吉良氏の当主成高は江戸城の太田道灌と同盟を結び、戦国の世を生き抜いた。
 ところが、成高の子頼康が北条氏綱の娘を妻にすると、次第に世田谷吉良氏の勢力は北条氏に吸収されていき、北条氏と運命を共にするようになる。
 1590年、豊臣秀吉による北条攻めの際、世田谷城は戦わずして開城し、秀吉軍の手に落ちた。
 世田谷城の石材は、その後、江戸城修築の際に持ち去られたといわれる。
 ちなみに吉良氏は、後に忠臣蔵で有名となった吉良上野介と同族である。


<現在の状況>

 世田谷城跡は現在公園となっている。土塁と堀が残り、特に幅広い堀は注目に値する。また、公園の周囲(住宅街となっているが)にも土塁と堀が残っている。なお、近くには井伊直弼の墓がある豪徳寺があるので、そちらもオススメ。


<あわせて読みたいページ>


 「稲付城」東京都北区にある太田道灌が築いた城。

 「木造太田道灌坐像」稲付城内にある太田道灌の木造で、毎月26日に見られる。

世田谷城の地図→