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多功城


  

  

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読み・・・たこうじょう

所在地・・・栃木県河内郡上三川町多功

築城年・・・1248年

築城者・・・宇都宮宗朝

主な城主・・・多功氏


多功城の役割

 多功城は、1248年10月、宇都宮頼綱の4男宗朝によって築城された。そして、頼綱の2男頼業が横田郷に築いた横田城とともに、宇都宮城の防衛に大きな役割を果たした。

多功一族の戦い

 多功一族は15代にわたって一族繁栄の道を歩み、戦国時代に宇都宮城を攻め落とそうとする数多くの軍勢と戦いを交え、勇名をはせた。主に2つの戦いを挙げると、「五月女坂の戦い」と「多功の戦い」がある。
 五月女坂の戦いは1549年、那須氏と五月女坂で戦い、大きな損害を出した。
 多功の戦いは、1558年5月に越後の上杉軍が下野に攻め入り、城主多功長朝が上杉勢を上州に追い払った戦いである(「多功勢の奮闘」参照)。

多功城の落城

 豊臣秀吉の北条征伐に、多功綱継が宇都宮国綱の陣代として小田原に出張り、秀吉に馬一頭、太刀一振を献上している。さらに綱継は、1592年の朝鮮征伐にも宇都宮勢の副将として出陣した。
 しかし、1597年に宇都宮城主国綱が所領を偽っていたとの罪で城を没収されたため、一族の武将もほとんど城郭を破壊し、多功城も姿を消した。


<現在の状況>

 外敵と幾度も激戦を展開した多功城は、北側の土塁と堀跡が見事に残る。


<あわせて読みたいページ>


 「宇都宮城」多功氏の主家、宇都宮氏の居城。

 「上三川城」宇都宮氏一族、今泉氏の居城。

 「多功家累代の墓」見性寺にある多功氏の墓。

 「多功勢の奮闘」上杉軍の侵攻に際し、多功氏が抜群の働きをした記述。


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