トップ>栃木県・県南の城>佐野市>植野城
植野城


読み・・・うえのじょう
所在地・・・栃木県佐野市植下町(旧佐野市)
別称・・・堀田佐野城、佐野城、植野陣屋
築城年・・・1826年
築城者・・・堀田正敦
主な城主・・・堀田氏
堀田氏
1684年、古河藩主堀田正俊の三男正高は、父の遺領1万石を分与された。こうして佐野藩が立藩した。
しかし正高は、1689年に近江堅田に移ることとなり、佐野藩は廃藩となる。
その後、しばらく天領時代が続き、1826年、堀田正富の養子となった堀田正敦(伊達宗村の八男)が、近江堅田から1万3000石で入封した。正敦は若年寄として幕政に参加し、老中松平定信が行った寛政の改革に協力した。また、和漢の学識が豊富で、『寛政重修諸家譜』編纂の総裁も務めている。
正敦の後、正衡、正頌と続いて、明治維新を迎えた。
洋学の藩校
1684年、城内に藩校「観光館」が建てられた。観光館の特色は、洋学を積極的に取り入れていた藩校であったということである。それは、当時全国でも数少ない例で、その点で佐野藩は進歩的な藩であった。
<現在の状況>
城跡は立派な石碑が建ち、その姿は印象的である。堀田稲荷神社には土塁が残り、御泉水の跡も残る。
ちなみに植野城の大手門は、東光寺に移築されている。
<あわせて読みたいページ>
「佐野城」佐野氏の城。植野城も佐野城と呼ばれるが、「佐野城」と言うと佐野氏の城を指す。
「大宮城」堀田正高の兄、堀田正虎が藩主の大宮藩。
<佐野市の城一覧>
植野城の地図→
