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羽生城

 

  天満宮。

     

所在地・・・埼玉県羽生市東5丁目

築城年・・・1540年代

築城者・・・広田直繁、木戸忠朝

主な城主・・・広田直繁、木戸忠朝、中条出羽守、成田長親、大久保忠隣

 

上杉氏の最前線基地

 羽生城は、1540年代に、古河公方の家臣であった広田直繁と木戸忠朝の兄弟によって築かれた。
 1552年、羽生城は北条氏によって落城し、中条出羽守が城代となった。
 1560年、上杉謙信が関東へ兵を進めた際、広田直繁と木戸忠朝はこれに従い、羽生城を落城させ、謙信は羽生城を両者に与えた。羽生城は、謙信にとって関東攻めの最前線基地であった。
 1561年、木戸忠朝は皿尾城へ移り、広田直繁が羽生城を守る。
 1570年、広田直繁が館林城へ移り、代わって木戸忠朝が羽生城へと入った。
 その後、羽生城周辺で、上杉氏と北条氏との間で抗争が繰り広げられた。そして1574年、謙信は越後と羽生城の距離が遠いことを恐れて羽生城を破却し、木戸忠朝以下の将兵を膳城へと移したため、羽生城は北条氏の家臣忍城主成田氏のものとなり、成田長親が羽生城に入った。
 1590年、北条氏が滅亡して徳川家康が関東へ入ると、大久保忠隣が羽生城主となった。
 1614年、忠隣が改易となり、羽生城も壊された。以後、羽生の地は天領となった。
  
 

<現在の状況>

 天満宮に「羽生城址」の碑が建っており、天満宮が天神郭の跡である。羽生城の遺構は壊滅しており、碑だけが羽生城の存在を教えてくれているかのようである。

オススメ度 ☆☆☆☆

 

羽生城の所在地→