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中久喜城


   

   

   

   

 

読み・・・なかくきじょう

所在地・・・栃木県小山市大字中久喜

別称・・・亀城、栃井城

築城年・・・1155年

築城者・・・小山政光

主な城主・・・小山氏、結城氏

 

地名を北山から中久喜に

 かつて中久喜は「北山」と呼ばれていた。中久喜城は、元々は小山氏の本城である祗園城の支城として築城されたものである。
 鎌倉公方足利氏満によって小山義政が討伐を受け、そして1397年に小山氏の正統が滅亡すると、北山は小山氏の支族、結城氏の支配下に置かれた。
 戦国時代になると、小山秀綱と実弟の結城晴朝が争ったことで、常陸の佐竹義重が下妻城主多賀谷重経に、小山秀綱と結城晴朝兄弟の仲直りを命じた。多賀谷重経は小山秀綱と結城晴朝を説得し、二人を祗園城結城城の中間にある北山で会見させ、和解を成立させた。この和解を記念して、北山の地名を「中久喜」を改めた。
 中久喜城は、結城氏の越前転封により廃城となった。


<現在の状況>

 中久喜城は、水戸線によって東西に分断されているが、どちらも遺構は残っている。見応え十分の素晴らしき城である。


<あわせて読みたいページ>


 「祇園城」小山氏の居城。

 「結城城」結城氏の居城。

 「下犬塚土塁」中久喜城から南西にあった土塁。

 「富田屋敷」結城市に入り、中久喜城から比較的近い場所にある屋敷。

 「名門、小山氏滅ぶ」小山義政の乱についての記述。

 「中久喜城」ブログ「九鬼の響き」で書いた、中久喜城の記事。

中久喜城の所在地→