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箕輪城


   

   

動画で見る箕輪城

 

読み・・・みのわじょう

所在地・・・栃木県下野市箕輪(旧国分寺町)

築城年・・・不明

築城者・・・不明

主な城主・・・小山氏、壬生氏


古文書に見える箕輪城

 箕輪城は、1462年頃に壬生胤業によって築かれたと言われている。
 ところが、それ以前の南北朝期に箕輪城が存在していた可能性があり、箕輪の地は小山氏の領地であったことから、その頃の箕輪城は小山氏の城と言える。

 延元4年(1339)3月20日「北畠親房御教書写」(結城文書)は、春日顕国が下野国に出発したことから始まり、

 「去廿七日矢木岡城被落候、(中略)同月益子城被落候、桃井舎弟上三川城・箕輪城即日自落畢」

 と、2月27日に八木岡城を攻め落とし、また同じ月に益子城も攻め落とした。そういう南朝の動きに対して、北朝の桃井舎弟(直信か?)は上三川城と箕輪城をすぐに放棄したことを記している。


 当時は南北朝の動乱の時期で、北朝の足利尊氏と南朝の後醍醐天皇が争った。
 1338年5月22日に南朝の北畠顕家が戦死すると、顕家の父親房や顕家の弟顕信が義良親王を奉じて奥州へ向けて出港。ところが暴風に遭って離散してしまい、常陸に着いた親房は、関東で北朝勢力と戦うことにした。

 文書が書かれた1339年3月頃というのは、関東の中でも大きな北朝勢力の小山氏が、南朝から味方するよう誘いを受けていた時期と重なる。
 そして、文書に見える箕輪城は、南朝の攻撃が下野国内で激しくある中で、北朝の桃井氏によって自落、つまり自ら城を放棄したという。
 落城と自落、1文字違いで事は大きく変わって来るために、興味深い出来事と言える。


<現在の状況>

 寂しげな雰囲気を醸し出している城跡であるが、立派な遺構が残っている。
 磐裂根裂神社の周囲を土塁が囲み、さらにその外側を堀が囲んでいる。


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 「壬生城」箕輪城は壬生城の支城として機能していた。

 「藤井城(第一次)」箕輪城と関係がありそうな藤井氏の居城。

 「薬師寺城」箕輪城と関係がありそうな薬師寺氏の居城。


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